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女性向けに誕生!? 仙台牛タンには麦とろごはんの理由


6月16日は「麦とろの日」。おいしくて栄養のある麦とろごはんを食べて、夏バテを予防してほしいという思いから制定された記念日で、日付は6(むぎ)と16(とろ)で「麦とろ」の語呂合わせに由来します。ひんやり、つるりとしたのどごしの麦とろごはんは、蒸し暑い夏におすすめのメニュー。そんな麦とろごはんの材料である「麦ごはん」と「とろろ」の歴史を調べてみると、私たち日本人の食文化を支えてきた重要な食べ物であることがわかります。

地味だけど栄養価が高い麦とろごはん

麦とろごはんに使われる大麦は、弥生時代から雑穀のひとつとして食されていましたが、栽培されるようになったのは奈良時代に入ってからです。米と大麦を混ぜて食べるようになったのは平安時代で、これが「麦ごはん」の始まりといわれています。江戸時代には、長寿を全うした徳川家康が好んで食べたといい、明治時代になると、国民病といわれた脚気を克服する食べ物として脚光を浴びました。

一方、とろろに使う山芋には多数のビタミン類が含まれるうえ、ジアスターゼやアミラーゼの酵素が豊富で消化を助ける作用があります。ひと口に「山芋」と言っても、いちょう芋や大和芋、自然薯など各地に固有種があり、健康食材として日本各地で食べられてきました。

時代を超えて愛され続ける伝統食

麦とろごはんがいつできたのか、正確なことは定かではありませんが、1596年創業の旧東海道鞠子宿(現静岡市)にある丁子屋で は、味噌汁でのばしたとろろを麦ごはんにかけた「とろろ汁」が名物料理で、そのにぎわいは、松尾芭蕉の俳句や歌川広重の東海道五十三次に描かれたほど。旅人の疲れを癒した滋味深い食べ物は、今も変わらず愛されています。また、1908年創業の兵庫にある潯陽楼(じんようろう)は、「丹波篠山麦とろ」発祥の宿として知られ、地元特産の黒豆料理や篠山牛を使ったすき焼きなどとともに味わえます。東京の老舗、浅草むぎとろは1929年の創業。創業者が秋田在来種のげんこつ芋に魅せられて作った店だとか。懐石料理で麦とろごはんのおいしさを堪能できます。

牛タン+麦とろごはんは、女性向けに誕生した!?

最近では、大麦は食物繊維が多く糖の吸収がゆるやかになるという点にも注目が集まっています。牛タン専門店では、牛タンと麦めし、とろろのセットが定番ですが、実はこれ、『牛たん とろろ 麦めし ねぎし』が1980年代に考案し、東京は新宿歌舞伎町で提供したのがはじまり。当時、牛タンといえば仙台発祥の酒のアテでしたが、そのおいしさを健康志向の高い女性にもぜひ味わってほしいと、ぶ厚い牛タンを薄く切って食べやすくし、麦めしにとろろを加えて消化吸収がいい定食に。狙いは当たり。女性からも支持され、牛タンのふるさと仙台にも出店して人気のメニューになっていきました(現在仙台店は閉店)。今では、男女を問わず愛されるメジャーな組み合わせとして「牛タン+麦とろ」は仙台をはじめ各地ですっかり定着しています。

6月16日は麦とろの日

腸活に!大麦。夏バテに!麦とろごはん。
基本の麦とろの作り方から日本列島各地の食材を使用した麦とろレシピを紹介。
http://mugitoro.jp/