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海軍カレーのルーツは、「麦飯男爵」考案の脚気予防にあり!


カレー専門店が本場インドに進出するほど、ワールドワイドな料理となった日本の「カレーライス」。少し前には「よこすか海軍カレー」がブームにもなったこともあり、カレーライスと聞くと「海軍カレー」を連想する人もいるのではないでしょうか。では、なぜ海軍とカレーライスが結びついたのでしょうか。

脚気を患う人がたくさん出た海軍の遠洋航海

カレーライスが海軍の食事としてお目見えしたのは明治時代のこと。脚気の予防食として供されたのが始まりです。脚気は江戸末期頃から江戸を中心に広まり、明治時代には国民的な病となります。海軍などでも流行し、1883(明治16)年には遠洋航海に出た海軍の練習船「龍驤(りゅうじょう)」で、乗員376名のうち169名が脚気にかかり、そのうち25名が死亡するという悲惨な出来事が起こったのでした。

かねてより脚気の予防を考えていた海軍医の高木兼寛は、イギリスの軍艦には脚気の患者が出ないことや、日本でも身分によって脚気を患う人数に違いがあることなどから食事に原因があると考えました。イギリスの食事と比較をしてみると、日本の食事は炭水化物が多く、たんぱく質が圧倒的に不足していました。

1日6合の白米が招いた栄養不足

当時、徴兵された兵士の多くは、農家の若者でした。貧しい農民にはまだまだ白米が高嶺の花だった時代に、軍に入ると「1日6合の白飯(なんと茶わん15杯分!)」を食べさせてもらえたのです。一方、おかずは支給された食費を使って、自分で選んで食べる仕組みだったため、貧しい兵士たちは、おかずを減らしてそのお金を貯金に回し、山盛りの白米と塩辛い漬物という食事が中心でした。

高木は、米よりもたんぱく質を多く含む大麦を加えた麦飯を推奨し、肉なども取り入れ兵士の食事の改善をすべきだと訴えました。しかし、脚気の原因は病原菌や血液異常だという説が有力視されていて、高木の訴えはなかなか受け入れてもらえませんでした。

「5割の麦飯にカレー」で、みごと脚気を撃退!

そこで高木は、実証実験を行うことにしました。脚気の患者がたくさん出た「龍驤」と同じルートを同じ9か月をかけて軍艦「筑波」で航海し、その際にたんぱく質が豊富な洋食と麦飯を主体とした食事を提供したのです。その結果、「筑波」の乗組員330名のうち脚気に患者は20名以下に激減、死亡者はゼロという結果が出ました。

その航海で人気を博したのが、カレーライスだったのです。高木はイギリスに留学していた経験を活かし、肉や野菜の入ったカレー風味のシチューに、小麦粉を入れてとろみをつけご飯に合うようにアレンジ。それを、大麦を5割入れた麦飯にかけることにしたのです。栄養のバランスがよく、何よりもおいしいことで評判になり、海軍に広まったとされています。

高木は、脚気の原因はビタミンB1の欠乏ということにはたどり着きませんでしたが、「麦飯」を推奨したことで期せずしてビタミンB1不足も補え、有効な脚気の予防策を発見できたのでした。ちなみに、高木はこの功績から「男爵」の位を受け、人々からは「麦飯男爵」と呼ばれたそうです。

高木が設立した現・東京慈恵会医科大学付属病院では、食事によって病気の予防ができるという高木の教えに基づき、現在も病院の食事には毎日麦ごはんが提供されています。この麦飯をとりいれた病院食は、家庭の食事にも参考になることから度々話題に取り上げられており、現代にもなおその功績の大きさが見受けられます。