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江戸時代の夏の夜の楽しみは、夜店で「麦茶」!


煎った大麦の粉を湯水に溶かして飲んだのが麦茶の起源!?

乾いたのどを潤してくれる冷たい麦茶は、暑い夏の定番の飲み物。近年ではペットボトル入りのものが出回っていますが、以前はどこの家庭でも大きなやかんで煮出して、麦茶ポットに入れて冷蔵庫で冷やしていたものです。日本人にはなじみの深い麦茶ですが、いったいいつごろから飲まれていたのでしょうか。

麦茶の原料の大麦は、縄文時代末期に日本に伝来して広まり、平安時代には大麦を煎って粉にした「はったい」を湯水に溶かして飲んでいたという記録があります。これが麦茶の起源といえるかもしれません。戦国時代の武将も、好んで飲んでいたともいわれています。

若い女性の給仕で麦湯店は大繁盛!

江戸時代、煎茶は高価でまだ広く普及していなかったこともあり、安価な麦茶は庶民の飲み物として「麦湯」の名で親しまれていました。中期以降になると町人文化が開花し、庶民も暮らしを楽しむようになります。神社仏閣に詣で、縁日を楽しみ、帰りには境内にある水茶屋でお茶やお菓子をいただきながらひと休みする。そのお茶屋で麦湯も出されるようになったようです。文化文政時代(1813~1830年)になると、「麦湯」と書かれた行燈を掲げる夜店が出現。縁台に座り、暑苦しいときには涼風を求めてやってくる客で、にぎわっていました。価格も手ごろで、一説には1杯4文(現代なら80~100円)程度だったと推測されています。ちなみに、麦湯店の店員さんは若い女性だったようで、それもあってか店は大いに繁盛したと伝えられています。