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知られざる大麦の歴史


最近のもち麦ブームによって、新たに注目されている大麦。その歴史は長く、世界最古の穀物の一つだといわれています。長きにわたり人類とともに歩んできた、知られざる大麦の歴史に迫ります。

大麦は、人類がはじめて農業で育てた植物

大麦はいつごろから食料となったのでしょうか?実は100万年以上も昔、私たちの先祖が原人だったころ、すでに野生の大麦が食べられていたとされます。栽培されるようになったのはおよそ1万年前のこと。野生の大麦は成熟すると実が落ちてしまいますが、突然変異によって実が落ちずに収穫できる大麦が現れ、それを発見したことが栽培の始まりだと考えられています。場所は、イスラエル付近とシリアからトルコ付近で、これが人類の農業の起源だとされています。

古代メソポタミアやエジプトなどでは、栽培した大麦をお粥にしたり、粉にして水で練って焼くパンにしたりして食べられていました。また、大麦を材料にビールも作られるようになりました。

食糧不足で苦しむ人々を救った大麦

栽培されるようになった大麦は、次第に世界各地へと広がっていきました。日本には、弥生時代に朝鮮半島からもたらされたようで、当時の遺跡から土器に付着した大麦が発見されています。『万葉集』や『古事記』などの中に「麦」という言葉が出てきますが、文献にはっきり「大麦」と記されたのは、奈良時代の元正天皇が公に意思を表示した「詔勅」でのこと。「飢餓に備えて、晩稲、そば、大小麦を植えよ」と書かれたもので、この時代、大麦は人々の重要な食物になっていたことがうかがえます。

長い歴史の中、飢饉は何度も訪れますが、とくに被害が大きかったことで知られるのが、江戸時代に起こった「天保の飢饉」。1833年から6年も冷夏が続き、作物が不作で多くの人が飢えに苦しみました。農政家の二宮尊徳は、小田原藩でこの飢餓の対策に当たりましたが、冷害に強い雑穀の栽培を命じ、米より早く収穫できる大麦により人々の命が救われたとされています。

平安初期の辞書にも出てくる麦の飲み物とは?

では、大麦はどのように食べられていたのでしょうか。大麦は煮えにくいことから、挽き割りにしてお粥にしたり、あらかじめゆでてから米や雑穀と混ぜて炊いたりしていたようです。また、平安初期の辞書ともいえる『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には「米麦を乾かし、これを炒って粉にし、湯水に転じて服す。これを『みずのこ』あるいは『はったい』という」と記されています。
現代では、一般的には「はったい」というと大麦を炒って挽いた粉のことを指しますが、古の人もまた麦の香ばしい風味を楽しんでいたのでしょう。